平成29年3月11日(土)・12日(日)予定

浜松がんこ祭

浜松 がんこ祭 共同代表の想い

2015年3月3日 - 未分類

浜松 がんこ祭 共同代表の想い
「人が踊る姿のチカラと素晴らしさ」

 

■「浜松 がんこ祭」とは?

毎年3月に、浜松中心市街地で行なわれる「浜松 がんこ祭」は、15年以上の歴史を持つお祭。年々規模も拡大し、全国から数多くの参加者が浜松中心市街地に集合、参加者だけでなく観客動員も年々拡大しています。

 

がんこ祭は、「すごく/とても」を意味する浜松の方言「がんこ」を冠にかかげ、「音楽の街」「楽器の街」浜松らしく、全国でも唯一「楽器を持って踊ること」をルールとしたよさこい祭のコンテスト。ちびっ子から大学生、社会人、ファミリーチームまで、1チームあたり最大100名の人間が一糸乱れぬ優雅で迫力ある踊りを披露し、コンテストを競う、にぎやかで華やかな、とても楽しいお祭りなのです。

 

 

■「浜松がんこ祭実行委員会」の正体

「浜松 がんこ祭」は、浜松市役所や警察、地元自治体や市民団体が総力を挙げて協力体制を取り、最終コンテストには、浜松市長、商工会議所、商店界、各新聞社も審査員として登場する、街全体を巻き込んだ一大イベント。多くの観客が楽しみ、全国各地から集結する参加者が宿泊する(大学生チームは節約のため「青春18切符」で電車を乗り継いで全国から浜松へやってきます)…ということで、浜松の経済効果にも多大な影響を与えている…のですが、その祭を運営・企画する母体団体は「浜松がんこ祭実行委員会」、すなわちボランティア団体であることはあまり知られていないかもしれません。

 

その構成員は「毎年のことだからね」「浜松のためになるなら手伝うよ」「街中を盛り上げよう!」といった想いを持った、年齢や職業もバラバラの約20名。ちょっぴりアバウトでゆるいけれど、継続するチカラ強さを持った優しい方々の好意でふんわりと開催しています。中には「数年前に偶然見て、感動したから手伝うよ!」という方も。つまりは、浜松の街とがんこ祭が大好きな人々が集まって、がんこ祭をサポートしている。それが、僕たち「浜松がんこ祭実行委員会」です。

 

 

 

■がんこ祭との出会い

僕ががんこ祭に関わるようになったキッカケは、小さな偶然でした。

10年以上も前の2004年、僕が働いていた会社に、変わった男性が突然やってきたのです。「ワラバンシに印刷出来ませんか?」と。……ワラバンシ。わら、藁、藁半紙。あ、あの茶色のボソボソした紙か!と、気づくまでに数秒。この21世紀に藁半紙…?と思い、ゆっくり話を聞いてみると…彼は「浜松よさこい がんこ祭」の実行委員長であること、数十人の規模で行なっていたイベントが第4回で1000人を超えてしまい、案内用紙などの告知物を作る予算が不安であること、今までコンビニや公民館などで印刷機を借りて自力で行なっていた印刷コピーも、人手と予算が足りないこと、最初は学生仲間と楽しくやっていたけれど、今は数えるほどしか実行委員にいないこと…。とにかく予算が不安で、考えたのが「子どもの頃にテストで見た『ワラバンシ』なら、安くできるかもしれない」。

 

それが、浜松よさこい初代実行委員長・ノジマくんとの出会いでした。僕はと言えば、偶然にも数ヶ月前、名古屋でよさこいイベントのボランティアスタッフをして、よさこいの素晴らしさを体感していたわけで、「え!浜松でもやってるの?!よさこい?」と驚き、生まれついての人の良さというか、モノズキというか、とにかく同年代の頑張っている人を応援しなきゃ!という気持ちになったわけです。

 

そこから腰を据えて対応策を一緒に練り、①大規模なイベントになったのであれば、経費削減ではなく、きちんと協賛をもらってしっかりとしたパンフレットとポスターを作ったほうがいい、②協賛をもらうのであれば、ホテルや飲食店に趣旨を話して協力者を得た方がいい(僕のお客さんで、当時のホテル組合の責任者にお願いして快く協賛をいただきました!)、③実行委員に人手が足りないなら僕も手伝うし、部下も応援して仲間になる…そんなことをその日のうちに2人で話しました。

 

 

■それから10年…

それから僕は、毎年、ボランティアスタッフとしてがんこ祭の運営を手伝うようになりました。ポスターは僕がこんなお祭であってほしい、という願いを込めてデザインを決めるようになりました。「現場をその目で見なきゃ」という僕の強引な誘いで、部下たちもボランティアスタッフとして手伝うようになりました。そして、多数の友人や同業者たちも…。3月になると、部下が悩みながらポスターやパンフレットを作る姿が見えるようになりました。パンフレットの1ページ目は僕がコピーを書いて写真を選ぶようになりました(毎回思い入れが強すぎて、ちょっと泣きそうになりながら書くのはヒミツです)。

 

それが10年、続きました。

 

30歳だった僕は、40歳を越えました。いつの間にか、祭のハイライトである「コンテスト」の責任者をするようになりました。いつの間にか、最終ステージの「審査」や「表彰式」の現場リーダーをするようになりました。ワラバンシのノジマくんが代表を退き、新代表のウチヤマさんに代わりました。2012年には、3.11のあの大地震。開催日の数日前、直前で開催を中止し(あの判断も大変でした)、大混乱したこともありました。

 

全員ボランティアなので、当然揉めごともあります。いいことや悪いこと、辛いことや悔しいこと…本当にいろいろなことがあったなぁと思います。

 

個人的には、会社を興す決断をしました。1年後に開催した「法人記念パーティー」で踊ってくれたのは、僕の大好きな地元オバちゃんチームの「リズム遊舞」さんでした。「偶然見かけて感動して写真を撮った、そのお礼だからよかったら使って」と、とても素敵な写真を送ってくれたカメラマンのゼキさんと出会って意気投合したのもがんこ祭がきっかけ。祭を通して、たくさんの面白い友達・仲間ができました。今でもノジマくんとは友達です。彼は、先日のプレイベントで元気よく活躍していました(踊っている彼は、めっちゃかっこいいんです!)。

 

 

■代表になる。

正直、10年以上やっていれば「もう辞めたいな…僕じゃなくてもいいんじゃないか…」と思うことも、何度もありました。そして2013年、誰かが代表者にならなければいけない、というタイミングがやってきました。気がついたら、僕が実行委員の中で一番古くからいる人間。でも、代表なんて面倒くさそうだし、大変そうだし、会社もあるし…。正直、「できることなら断りたい」と思っていました。でも誰かがやらなければこのお祭がなくなってしまうかもしれない…と思うと、断れませんでした。

 

少し組織を工夫して「共同代表」として、数人で代表を務めることにしました。これなら、いつどんな時も、1人きりでドタバタしなくても良くなります(お祭は同時にアレコレ起こります。例えば、あと10分でスタッフに段取り説明をしなくてはいけないけれど、新聞社の取材記者が来ていて、審査員で来てくれた市長に挨拶もしなくてはいけない。そして舞台を片付けてくれた大学生100人が代表からのお礼の言葉を道端で待ってる時に、地元のオジさんが「責任者は誰だ!」と怒ってボランティアの女の子が困ってて…。でも「舞台に出て代表者挨拶をしてください。今!5分押しています!」と言われる、とかね…笑)。

 

2014年は、タツヤさんとタカバヤシさんと僕の3人が、そして2015年は、タカバヤシさんと僕の2人が共同代表になりました。

 

 

■がんこ祭から生まれるドラマ

こうして今年もがんこ祭開催を迎えるわけですが、全国から参加してくれる踊り子さんたちは、本当に素敵なんですよ。第1回目が大学生によって開催されたこともあって、大学生チームも多数参加してくれます。大学生にとっては、卒業や就職活動を控え、メンバーと一緒に踊る最後の晴れ舞台ということもあって、みんなが「想い」を込めた踊りで「コンテスト」の上位を真剣に狙い、青春の火花を散らしています。「最終審査に残れるかどうか」が発表されると、感極まって泣き出したり悲鳴があがったり、悔し涙や歓喜の涙、ものすごいドラマが生まれたりします。

 

100以上のチームの頂点に立つ最優秀のチームが舞う「ファイナルステージ」、それはそれはスゴいんです。クオリティはもちろん、人が本気で何かを目指して一心不乱に打ち込む姿…僕はそんな「人のひたむきさ」や「真摯な想い」って、本当に美しいと思います。そして、その想いを込めた「踊り」は、目の前の観客に向けられている。なかなかないことではないかと思うのです。

 

あなたは「一心不乱に情熱をかけて一斉に踊っている100名近い人たち」を「目の前で」見たことがありますか?がんこ祭に来れば、誰でも無料でその姿を見ることができる…すごいことだと思いませんか。まだ見たことのない方は、ぜひ見てほしいと思います。偶然見かけた方が「ちょっと見るだけ」と道端に座り込んで、「いいねぇ、笑顔で元気に踊る人を見ていると、元気が出てくるね」と、ずっと手拍子して2時間見続けた…なんて話もあるほどで。僕は、絶対にこんな素敵な祭を途絶えさせてはダメだ、と思っています。「人の本気の姿」って、本当に素晴らしいチカラを持っているんですよね。見ている方のココロを動かすくらいに。

 

 

 

■がんこ祭への想い

僕が生まれ育ったのは袋井市です。だから、浜松市の祭を僕がこんなに手伝うのは変かな、と最初は思っていました。でも浜松市に会社を構えて、ありがたいことに商売をさせていただいている。だから、この街に何かお礼を、少しでも恩返しになることをしないといけないなぁ…と、できることをやるしかないという思いで、がんこ祭のサポートを続けてきました。

 

…なんて言いながらも、本音は「素敵な姿で一生懸命踊っている、美しい舞台を見たい!(しかも関係者という内側の特等席で)」という気持ちが、ココロの最深部にあるんだと思います。人が一生懸命踊る姿は、こんなにも美しくて勇気をもらえるんだ、見ている人にも何かしらのチカラをも与えてくれるんだ…と、僕は今でも毎年感動しています。

 

ちなみに、僕は一曲も踊れません(笑)。ただ、「かっこいいな、きれいだな、すごい!」と、見ているだけです。得点権はなくても、審査の最高責任者である僕は公平中立でなければいけない立場。でも、思わず手拍子や大拍手をしてしまって周りにたしなめられたりしています(笑)。それほど僕はこのステージを見ることが大好きで、踊り子さんも大好きで、浜松市も大好きで。だから、今年もこの祭に関わっていられることが、すごく嬉しいです。

 

今年も、がんこ祭が開催されます。

 

子どもの頃、おばあちゃんの家で見た、映画「男はつらいよ」。ケンカした寅さんが実家から飛び出す前に、心配して駆け寄る妹(さくら)に言った「毎年決まって必ず帰ってくる、あの燕(つばくろ)さえも、何かを境にパッ…タリと…帰ってこなくなることもあるんだぜ…さくら」。僕ががんこ祭を続けようと思った時、このセリフが頭に浮かびました。「毎年ある」って、本当にすごく大切なことなんだ。だから大切にしなきゃいけないよな、わかるだろ?さくら。

 

この祭が終われば、春です。桜も咲きます。本番まで、あと少し。本当に素敵な祭です。踊り子のみなさん、気をつけてきてね。がんこ祭に興味を持った方、ぜひ浜松の地へ素晴らしい舞いを見に来てください。

 

僕は今年も、ワクワクしています。

 

 

「浜松 がんこ祭」 共同代表